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川島 & スワンモントリー アソシエイツ

วิเคราะห์สถานการณ์เครษฐกิจ สังคม และการเมืองเอเชียเป็นภาษาไทยด้วยมุมมองจากญี่ปุ่น สำหรับคนไทยโดยเฉพาะ

農工間格差が生んだ田中角栄元首相とタクシン元首相

 タクシン元首相は首都のインテリ層の間で評判が悪い。その一方で農村において圧倒的な支持を得ている。それは田中角栄元首相も同じだった。なぜ、都市と農村で評判が異なるのか。それは、経済発展が始まると、都市と農村で置かれた状況が全く異なってしまうからだ。

アジアにおける経済発展とは、農業中心の社会から工業やサービス業が中心である社会に変わることに他ならない。そのために、経済発展が始まると工業やサービス業が集中する都市は豊かになるが、農村は取り残されてしまう。歴史の必然として農村が貧しくなる。

しかし、一般の人だけでなく農業を研究している者でも、この辺りの事情が理解できない。そして、農村が豊かになれないのは政策が悪いからだなどと言い出す。しかし、いくら農業政策を改変しても農村が豊かになることはない。それは戦後の日本の歴史が証明している。

 この事実にいち早く気づき、それを政権獲得や政権維持のために利用したのが田中元首相とタクシン元首相であった。両者の現状分析力は優れており、到底学者などの及ぶところではない。

田中元首相の基本政策は全国を工業化することであった。農業が主な産業であった地方を工業化させると言うのだ。田中元首相が政権についたのは1972年であるが、当時、日本のインフラは貧弱であった。地方を発展させるためには、東京と地方の間の交通網を整備する必要がある。そう考えた田中は新幹線や高速道路の建設に力を入れた。

 タクシン元首相が政権を獲得したのは2001年である。タイではサリット政権時代からインフラの整備が行われており、タクシン元首相が政権を獲得した頃には、地方に通じる道路の整備はほぼ終わっていた。

しかし、交通を整備しても農村が工業化することはない。それは日本も同じであった。新幹線で都市と農村を結びつけても農村は工業化しない。

それに気づいたタクシンは、農村を豊かにするために直接補助的な政策を行った。村落ごとに100万バーツを配る村落基金、農民でも30バーツを払えば受診できる医療システムの導入などである。これはバラマキ以外のなにものでもないが、ヨーロッパで行われている農民への直接補助や、日本の民主党政権が導入した戸別所得補償政策も同じようなものである。

田中元首相もタクシン元首相も農業の振興を強調することはなかった。それにもかかわらず、農村で絶大な支持を受けたのは、農民自身が農業では豊かになれないことをよく知っていたためである。

日本でもタイでも、都市のインテリ層は経済発展から取り残される農村の悲哀に鈍感であり、適切な政策を打ち出すことができなかった。それが田中元首相やタクシン元首相と言う強烈な個性を持つ政治家を生み出してしまった。だが、彼らのやり方には問題が多い。その功罪については改めて触れたい。