K & S Associates

川島 & スワンモントリー アソシエイツ

วิเคราะห์สถานการณ์เครษฐกิจ สังคม และการเมืองเอเชียเป็นภาษาไทยด้วยมุมมองจากญี่ปุ่น สำหรับคนไทยโดยเฉพาะ

タマサート大学での制服廃止問題に思うこと 大学とエリート

弊衣破帽、これはぼろぼろの服と破れた帽子を意味する。戦前の日本において、旧制高校(現在の大学の教養課程)の学生はボロボロになった制服や制帽を好んで着用した。そのために、弊衣破帽は旧制高校生の代名詞にもなっている。彼らは、衣服に注意を払うなどと言うことは女々しい人間がすることで、自分たちはもっと高尚でスケールの大きなことを考えていると言いたかったのだろう。

日本の大学にも制服はあった。しかし、高度経済成長に入ったころから着用する人は激減し、現在、制服を着ている人はいないと言ってよい。詳細は知らないが、日本の大学で制服を制定し、その着用を義務付けているところはないと思う。唯一、防衛大学校例外と思うが、防衛大学校は正規の大学ではない。その学生の身分は自衛官、つまり軍人だ。

中世においては身分によって着るべき着物が決まっており、一見すればその人がどの階層に属しているのか分かったと言う。しかし、現在、服装によって身分を特定することは難しい。もちろん、服装からある程度は職業や身分を推定できるが、それは制服を着ているためではない。教養やセンスが服装に現れるためだ。

大学生が制服を着用しなくなった理由は、大学生がエリートではなくなったからと考える。旧制高等学校の学生は、同世代に対して極端に人数が少なく、旧制高校生と言うだけでエリートだった。だから、弊衣破帽などと言う奇異な格好をして、その存在を誇示したのだ。

しかし、今では同世代の半分近くが大学に進学しており、大学生はエリートではない。それは日本だけの話ではない。世界的に進学率が上昇しており、もはや大学生と言うだけでエリートの時代は終わった。それは、先進国において特に著しい。そうであれば、制服を着てその身分を誇示する必要はない。

タイでも進学率が上昇している。もちろん、一流大学とそれ以外との間に差はあるのだが、その差は戦前における小学校卒と大学卒の差よりも著しく小さくなっている。そして、先進国になればなるほど産業構造の変遷が激しくなるから、一流大学を出たと言うだけで、その後をエリートとして過ごすことは難しい。

タマサート大学の学生が制服を廃止して欲しいと考えることは自然な成り行きである。今回はタマサート大学の問題であるが、もう10年もすれば、タイでも多くの大学で学生が制服を着用することはなくなるだろう。

それを規律が緩んだとして、悲しむ必要はない。むしろ、タイの学生の意識が先進国の水準に達したとして、喜ぶべきなのだ。日本だけでなく米国でも英国でもフランスでも、大学生は制服を着用していない。皆、カジュアルな姿で勉学にいそしんでいる。それが世界標準である