日本とタイは同盟国だった 終戦の日に思うこと
1945年の8月15日、昭和天皇はラジオを通じて国民に対して、日本が戦争に負けたこと告げた。8月15日は終戦記念日と呼ばれ、今でも政府主催による戦没者追悼式典が行われている。
天皇は終戦の詔勅を音読したのだが、それは「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」と言う有名なフレーズと共に、今でも多くの日本人の記憶に残っている。その詔勅の中に日本とタイとの関係に触れた部分がある。次のような文言だ。
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
(現代語訳:天皇である私は、日本と共に終始東アジアの解放に協力してくれた同盟国に対して遺憾の意を表せざるを得ない)
諸盟邦にはタイ以外も入っているが、主にはタイを指している。日本とタイは1941年の12月に同盟条約を締結している。
タイはアジアで独立を維持していた数少ない国であったが、それでもフランスに多くの領土を割譲している。タイは失地を回復したいと考えていた。
1940年にフランス本国がナチスドイツに敗れて弱体化すると、タイは失地回復のチャンスと考えインドシナに駐留するフランス軍に戦いを挑んだ。その戦いにおいてタイ陸軍は善戦したのだが、海軍がフランスに敗れてしまい、思うように失地を回復することができなかった。
そんな折に日本軍が東南アジアに進出して来た。日本の真の狙いはインドネシアの石油を手に入れることであったが、それを日本まで安全に運ぶにはインドシナ半島とフィリピンを占領す必要があった。
日本はタイと同盟することによって、イギリスの植民地であったマレー半島やビルマ(現ミャンマー)に侵攻し易くなると考えていた。一方、タイは日本の東南アジア進出を失地回復のチャンスと捉えた。
両国の利害が一致したから同盟を結んだのだが、そこにはアジアを西欧の植民地から解放すると言う大義も含まれていた。日本は1943年の秋に東アジア解放を世界に誇示するために東京で大東亜会議を開催したが、タイからはワンワイタヤーコーン親王が参加している。
日本とタイは数少ないアジアの独立国として第二次世界大戦を共に戦った。あれから68年の年月が流れ、今となっては日本人もタイ人も忘れているが、日本とタイは同盟国であったのだ。